奪われるもの
いつもと変わらない朝だった。
早朝の冷えた空気に身を震わせながら俺は食卓へ向かう。
だけど出迎えたのは、いつもと違う空気。
「……どうしたんだよ?」
食卓からは甘いコーンスープのにおいがする。
こりゃアンナのつくったスープだな。今朝はついてない。
だが食卓の異変は特製スープのせいじゃない。
いつもならテオドールが新聞を読んでいて、アンナかエミーが台所かクララの相手、
そんでアルフレートが…、って、もうアルフレートはいないのか。
今朝は朝食の代わりに、食卓一面に新聞が広げられていてそれを3人して難しい顔で取り囲んでる。
スープはテーブルの端に追いやられていた。
「何かあったのか?」
「皇太子様が…自殺したって」
「え?」
最近ようやく聞き慣れてきたアンナの声。
幼さが残るあどけない、かわいらしい声だ。
でも、今、何だかとんでも無いことを言われた気がした。
皇太子が死んだ。
愛人を道連れにした情死だと新聞は伝えている。
(マリー・ヴェッツェラ、あの女か…)
カイルのもとにいた少女。
俺と同じくらいの年で胸が大きかったななんてぼんやりと思い出す。
皇太子の遺体と共に彼女の遺体も残されていたらしい。
そして。
(マイヤーリンク…)
つい先日、アルフレートと皇太子を追いかけてアンナと共に出向いた場所だ。
(何なんだ、これは)
もやもやと頭をもたげる違和感。
それはきっとこの場にいる全員が感じているに違いない。
だってアルフレートはあいつの…皇太子の元へ戻ると言ってここから出ていったのだ。
その皇太子が死んだ?
じゃあ何故アルフレートは帰って来ないんだ。
戻らない理由はただひとつ、まだ、アルフレートは皇太子の側にいるからだ。
だから死んだなんて信じられなかった。
クララがまだ小さくて手がかかるからと残ったエミーを置いて、テオドールとアンナと共に俺は皇太子の葬儀ミサに出向いた。
国民に人気のあった皇太子、という話を裏付けるかのように葬儀に集まっている人間の数は半端無く、
集まった人の熱気で、冬の寒さで凍えるウィーンの街の温度が上昇してるかのような錯覚に陥るほどだった。
葬儀に行く気になったのは別に皇太子を悼む気持ちがあったからではなく、
心のどこかで、もしかしたらアルフレートに会えるかもなんて淡い期待をしていたから。
なんとも未練たらしくて、我ながら女々しい奴だと思う。
カプツィーナ教会。
初めて足を踏み入れた、この国の歴代皇帝が眠る場所。
教会内は決して大きくも華美でもない、しかし独特の荘厳さに威圧される。
ミサが進むにつれまわりからはすすり泣くような声がした。
赤の他人の死が、そんなに悲しいんだろうか。
それともやっぱり、皇太子は特別な人間だったから?
ふと棺の方に視線を移すと見知った顔を見つける。
確かフランとか言う名前だった。一度だけ行動を共にした。
隣には、ハンカチで口を覆い、ただひたすら泣きじゃくる少女。
フランは華奢な彼女を支えるかのように、ひっそりと隣に寄り添っていた。
少女の方もなんだか見覚えがあるな。
…ああ、思い出した。皇女様だ。俺とアンナに王宮に来いなんて、平和ボケしたセリフを吐いたお姫様。
兄である皇太子の訃報を聞いてからきっと何度も泣いているんだろう。
まぶたが赤く腫れ上がっている。
フランに聞けば分かるだろうか。
アルフレートのこと。皇太子のこと。
いや、教えてもらえるはずもないか。
街をうろつく孤児が死んだのとはわけが違う。
この国の未来とも言える、皇太子の死に関わることなのだから。
ミサが終わるまでずっと皇女は泣き続けていた。
あいつがいなくなって、そんなに寂しかったんだろうか。
…兄妹だから当たり前か。
俺はいつだってずっとあいつが嫌いだった。
最初は俺達を踏みつけて平然としていたあいつらが憎かった。
だからアルフレートが俺達の元に来てくれた時、ざまぁみろって思ったね。
アルフレートは皇太子じゃなく俺達を選んでくれたんだって。
それは胸の奥の小さな優越感を満たしてくれた。
次は、アルフレートの中にいるあいつの存在を意識したこと。
時々すごく寂しそうな表情をしてるアルフレートを見て、俺じゃ敵わない大切な誰かが居るのだと気づいた。
アルフレートにあんな顔をさせる奴はどこのどいつなんだろうって。ずっと気になってた。
それがあいつだって分かったのは、ごく最近のことだったけど。
最後は、アルフレートが、あいつを選んだこと。
まぁ結構逆恨みばっかだけどな。
元々嫌いだった皇太子。
俺から…俺達からアルフレートを奪っていったことで、さらに嫌いになった。
あいつが本当に死んでいて、アルフレートが戻ってくるのなら、それはどんなに喜ばしいことだろう。
国民の期待を、希望を、一身に纏っていた皇太子。
その側にいたいと、彼のもとに戻りたいと言ったアルフレート。
その二人が再会した結果は――。
周囲を見回すと、沢山の人間が悲痛な表情を浮かべていた。
この国の行く末を失ってしまったのだ。
ウィーンの街では皇帝派と皇太子派で国民の意見も対立していたらしいが、まさかこんな形でその対立に終焉が訪れるとは、
きっと誰もが予想していなかっただろう。
(俺は、皇太子にあんたを奪われたけれど、)
あんたも皇太子を取り巻く全てから、あいつを奪っていったのかな。
皇女の、泣き腫らした表情、悲壮な姿を思い出す。
(まったく、とんでもない奴だよな、あんたって)
思えば、小さい頃無茶苦茶やってた俺を助けてくれたのはアルフレートだった。
アルフレートの事を忘れてしまったと伝え聞いた皇太子の身に、何か異変が起こっていたことは明白で、
だからアルフレートは、俺を助けたのと同じように皇太子を救うことにしたのだろう。
例えどれだけ多くのものを、犠牲にしたとしても。
アルフレートに幸せになって欲しいと思う。
それは、あいつの幸せをも願ってるようでちょっと癪だけど。
お前は嫌なやつだったけど、アルフレートの為だから祈ってやる。
(どうか幸せでありますように――)
誰もが鎮魂を祈る中、俺は、皇太子の幸福を祈った。
(ははっ、柄でもねーな)
葬儀が終り俺達は人でごった返すウィーンの街を歩く。
終わってしまえば有名人の葬儀なんて、一種のお祭り騒ぎみたいなものだった。
「さて、帰ろっか。どこかでご飯を食べていってもいいけど、こんな時だし、お店開いてるかな〜」
「私、◯◯というお店のトルテを食べてみたいの」
「おいおい、遊びに来たわけじゃないんだぞ〜。クラウスは?行きたいお店ある?」
「ん〜…。何でもいいよ。てかさ、勝手にご飯なんて食べて帰ったら、エミーに怒られるんじゃね?」
「え?!そ、そうかな〜〜。あ、アンナ!ちょっとお店に入るの待った〜!!」
ふと、一度だけ教会を振り返った。
(…あの棺に眠っているのは誰なんだろう…)
顔も名前も知らない誰かに向かって、覚束無い指使いで俺は小さく十字を切った。
20110207
アル←クラ。
俺得話です、ハァハァ。マイブームすぎる。
葬式の日は2月5日だったようですね!
途中のマリーの絵は見ての通りおっぱいが書きたかったからです。
あっちの国のドレスって結構胸を強調したものが多い気がしなくもない(時代にもよるのかな?)